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プロローグ ■1年前 暗い果てのない空間。 一条の光の矢。 それは、透明な眼球。 巨大な瞳。 私をじっと見据えている。 これは何だ。 知らない。 いえ、この記憶は私の中にある。 古より伝えられし一族の秘事。 楽園の扉、開くことなかれ。 アレの眠り妨げることなかれ。 封じの刻印、破ることなかれ。 これは夢だ。 何故なら、アレが目覚めているわけがないから。 これは夢なのだ。 透明な眼球が私を見据える。 伽国の王女メグミ・イズマは、真夜中に目を覚ました。 「夢か」 ベットのキャノピーに映る青く淡い光、月の光に似た色。 寝返りをうつと、蒼光花の花びらの光が見慣れた寝室の様子を照らしている。 そして、耳慣れた波の音。 王宮を築いた先人は、潮騒まで遮音してしまうほど、無粋ではない。 「どうされました姫様」 「わっ!」 いきなり声を掛けられて、ベットから飛び起きるメグミ。 「ジュンコ!」 「はい」 ベットの傍らに椅子を置いて座っている侍女のジュンコがいた。 お下げ髪の少女は、メグミより2つ年上の16歳。 ちょっとソバカスが残っている顔で、不思議そうにメグミを見つめていた。 「おまえ何故、此処にいる!」 思わず声がうわずる。 昨夜、ベットに入るときは、寝室には誰もいなかった筈。 「不寝番ですので」 ジュンコは、すまして答える。 「不寝番なら、控えの間があるだろ」 扉を指差す。 「いえ、控えの間では、姫様のご様子が分かりませんから、万が一の事態に備えて、こうしてお側に」 「そうか、ジュンコは、初めての不寝番だったな」 「はい、精一杯つとめさせていただきますので、ボーナスはよろしくお願いします」 「ボーナスの査定は、ばあやの仕事だ。だいたい不寝番というのは、名前だけで、みんな控えの間で休んでるぞ」 「他人は他人、私は私です」 「そいつは結構だが……ところで、何時から此処にいたんだ?」 メグミは、やれやれといった感じのため息を吐く。 「姫様が、お休みになられてからです」 「それから、ずーっと私の寝顔を見ていたのか?」 「はい、見ておりました」 嬉しそうな笑みを浮かべる。 「どーりで、変な夢を……」 「どんな夢ですか?」 「だから……そんなことは、聞かなくていい」 お姫様は不機嫌な顔になる。 「もういい、控えの間で休んでくれ」 「いえ姫様、私は朝まで此処におりますから、どうぞ、お眠り下さいませ」 「あのなジュンコ、お前の気持ちは嬉しいが……」 「もったいないお言葉。私、命に代えましても姫様をお守りします。どーぞお休み下さい。ついでに昇給もお願いします」 「話を最後まで聞け、じっと見つめられながら眠れるか」 「お眠りになれませんか」 「あたりまえだ」 「私は眠れますが」 「お前は、お前、私は私だ」 メグミは、さっきのジュンコの台詞をいただく。 「それにだ、寝起きに声を掛けられるのも心臓に悪い。そこのクマを見たって、ドキっとすることがあるのに……って、聞いてるのか!」 「はい、居眠りなどしていません」 「首が揺れてたぞ」 「滅相もございません」 「とにかく、控えの間に行ってくれ」 「はっ、今夜は私に全てお任せ下さい。何があろうとも……」 半分、寝ぼけたジュンコは、全然聞いていない。 「だー!だから、クマと一緒で心臓に悪いから、控えの間に行け!」 クマのぬいぐるみを指差す。メグミの女の子にしては、そっけ無い部屋も、椅子に座った大きなぬいぐるみだけが、僅かに「らしさ」を演出していた。 彼女にしてみれば、そんなモノだって本当は要らないのだが、プレゼントの送り主が、隣国の元首とあっては、飾らないわけにもいかない。 でも、暗いと誰か人が座っているように見えるのも確かで、驚いて広いベッドから転げ落ちそうになったことが一回や2回ではない。 「心配、ご無用です」 やっと、目をパッチリさせるジュンコ。 「クマは、私がお守りします」 でも、頭はまだらしい。 「クマって……いいよ、もう、勝手にしてくれ」 すっかり脱力したメグミは、ペタンとベットに倒れ込んでしまう。 「それに、もしものことが有りましたら、このナイフで胸を突き、直に後を追わせていただきます」 エプロンドレスのスカートから大きなナイフを取り出す。マーブル模様のダマスカス鋼の刀身で、背中がギザギザ。 「おっ」 お姫様は、クマのぬいぐるみより、そのごついナイフの方が好みだった。ピッと身体を起こす。 「そして、精霊になっても姫様に、お仕えする所存でございます。精霊手当があると嬉しいんですけど」 「精霊は、金など必要ないだろ。まあ、分かった。その気持ちだけ受け取っておく。そんなことより、ちょっとそのナイフ見せてくれ」 「ナイフですか」 「わあ、これって、ヒロ・ムラタの作品じゃないか!」 「お分かりになりますか」 「勿論だ。スゴイな、いいな」 ベットにあぐらをかいて、ずっしりと重いナイフを舐めるように見る。 「私の父が、ヒロ・ムラタ様とは、古くからの友人でして」 「見た目もいいが、バランスも最高だ」 「その刃は、鋼をも切り裂きます」 ジュンコは、ニマっと笑う。 「刻印、あれ何処にあるんだ?感じはするんだが」 メグミも同じ目をしている。 「刻印は、グリップの中に隠されているんです」 「なるほど、流石は、ヒロ・ムラタ、芸が細かい」 「そうなんです。刻印を隠して、敵に法術のプログラムを簡単に読ませないようになっているんです。太刀に使われる技法ですね」 ジュンコは、ナイフの説明を続ける。 「ちょっと待て」 メグミは突然、ジュンコを止めてナイフを返し目を閉じた。 「どうされました?」 「黙って」 耳を澄ませると、潮騒が戻って来た。 そして、気配がする。 空気が、いつもと違う。 薄暗い寝室は勿論、王宮全体を満たす巨大な陰の気配。 「何だ?」 「はい?」 「いや、ジュンコじゃない」 いま、何か良くないことが起ころうとしている。小さな頃から、この手の予感は外したことがない。 母の死、祖父の死、その直前に感じたものと似ていた。そうこれは死を予感させる。 しかも、いま感じているのは、これまでに経験が無い、桁外れに大きいとてつもない凶事の予感。 「たくさんの死、何故」 冷たい死のイメージが、頭の中で大きく膨れ上がる。 「何か起こるのですか?」 「何が起こるのかはわからない。でも……これは死のイメージか」 メグミは、大きな天蓋の付いたベットから抜け出した。 「来るぞ!」 ミシッ! 壁が軋み漆喰にヒビが走った。 「姫様……」 続いて、 ドドーンッ! 「きゃっ!」 腹の底に響く爆音と閃光。ジュンコは床に尻餅を着いた。 「近いです」 ジュンコは、耳を押さえて立ち上がる。 「爆発……このことなの?」 メグミは意識を集中させる。 揺らめく赤い炎の色と、寝室の大きな窓を覆う刻印の意匠を模した鋼の目隠しの影が、カーテンに映る。 「いや、違う……」 凶事は、熱ではない、冷たい氷……それは紛れも無く死だ。 死のイメージは、広がる。 それは、単に王宮に留まらない。 王都のある伽端半島、いや伽国を覆い、それ以上の……。 「爆発は中庭のようです。事故でしょうか」 メグミが窓に駆け寄った。 「封印の刻印を全部キャンセルしてからか、そんなことは有るはずが無い」 「では、敵襲ですね」 「ああ、だが……どちらにしても我が国の防御封印を破ったと言うのか……そんなことが……」 メグミは意識を気配に集中させる。この感じ、軍隊によるものではない、いや、人間とは違うもっと無慈悲なものだ。 「見てみます」 中庭越しに伽国王都のパノラマを楽しめる大窓も、いまは影絵を映すのみ。 「待て!」 カーテンに手を掛けたジュンコが、メグミの鋭い声に動きを止めた。 「カーテンは開けるな。そのままこっちまで下がれ」 「はい」 命令されるまま後退した。 「何かいる」 窓側に強い気配を感じる。 凶事の枝別れしたもの。 まだ、ガラスの部分には姿を見せないが、メグミの脳裏に、はっきりとした形になって再構成される。それは、 「人?まさかな……こんなところに……」 空気が張り詰め、温度がグンと下がり総毛立つ。 「姫様!」 カーテン越しにシルエットが現れた。 「分かってる」 窓の向こう側に影が動く。 「人……それとも……」 メグミの隣に立つジュンコはシルエットを目で追う。 カーテンに映る影絵は、確かに人の形をしていたが……。 「さあな」 メグミにも正体が計りかねた。 いや、本能的に察知したが、口には出せなかった。 影は、ヤモリのように素早く動き、寝室の南側の壁のほとんどを占める大窓の端から端までを這いまわる。 「少なくとも私の知り合いでは無さそうだな、あんなところを散歩する人間は知らない」 メグミの口は強張って笑みを上手く浮かべることが出来ない。 光る眼がカーテンに映った。 「……人に似て人に在らざる者……」 メグミの寝室は、王宮の上層部にあり窓の外は垂直な高い壁で、人の取り着く足場など皆無だ。 窓の外側に、はめ込まれた透かし彫りのような目隠しも、防御を兼ね、イバラ状の鋼のトゲで、刻印の神代文字を模していた。とうてい人が掴まれる代物ではない。さらに防御刻印が守りを固めている。 グチャッ! グチャッ! グチャッ! 「きゃっ……」 悲鳴を飲み込むジュンコ。 カーテンに映る影は、目隠しに額を打ち付けていた。 嫌な音と共に、血が飛び散ってガラスを汚す。 「何のつもりだ」 メグミも、ただ茫然として、その肉を砕くような音を聞いていた。 ガッツ! ガリッ! ギギッ! 歯で鋼の目隠しを押し曲げているらしい。刻印の意匠に徐々に穴が広がる。 ベットリと付着した血の流れる影に動きは見えなくなった。 「こっちに入って来る気か」 ガンッ! ガンッ! ガンッ! ついに鋼のトゲをものともせず、目隠しを食い破り、防御刻印の施された強化ガラスを直接叩く。 ガツン! ガツン! ガツン! 火花が飛び散る。 「何故、刻印に焼かれない……」 バリッ! カーテンが揺れる。 ガラスに大きなヒビが走る様子がシルエットになって映っていた。 「……まったく、ドアから入って来いってね」 メグミは、やっと忘我の状態から抜け出し、両手で印を結ぶ。 「我、求めるはコハクの戒め!」 刻印が窓に向かって打たれた。 伽国を統治するイズマ家の祖は、刻印師の出である。 伝統として、その子孫にも刻印師としての徹底した教育が成されていた。 メグミもその例に漏れず、小さな頃から刻印師としての鍛練を重ねていた。 だから、男の子のような性格になってしまったのかもしれないが。 刻印は光を伴って現れる。 窓から壁一面を覆うように、神代文字を複雑に組み合わせた魔法陣、刻印。 メグミの造り出した刻印が、窓に仕掛けられた古い刻印を目覚めさせる。 バンッ! ほぼ同時にガラスが撃ち割られ、カーテンが引き裂かれる。 「きゃあっ!」 ジュンコが、今度は飲み込めず悲鳴を挙げた。 ギシッ! ギシッ! ギシッ! 侵入者が飛び込む瞬間、目隠しの刻印の文様が動いた。鋼のトゲが蔦のように伸び、鞭になって侵入者に襲いかかる。 メグミは天井に手をかざす。 「フリント!」 刻印が天井に刻み込まれ、薄暗い寝室を一瞬にして明るくなる。 「姫様」 2人の前に姿を現す侵入者。 「姫様のお友達ですか?」 「……」 ズルっと滑るメグミ。 「どうしてだ!」 「だって、あの……綺麗な女の子ですから」 侵入者は、青白い肌を晒す全裸の美少女だった。金色の瞳、金色の長い髪。地の族でも砂の民でも、ましてや海の族でもない。 「私に、裸で窓から入って来る友達はいない!」 「それもそうですね、ではこの方はいったい誰なんですか」 「私が知る筈ないだろ」 窓を守る目隠しの飾りを模した刻印の鋼のイバラが、その美しい少女の身体に巻き付いて締め上げている。 「このままじゃ、死んじゃいますよ」 「そいつは、どうかな」 侵入者は、おびただしい血を流しながら、平然として2人を見つめている。いや、表情が無いのだ。 「こいつ、鋼のイバラを食いちぎって、此処に入って来たんだ」 「そうでした」 ビンッ! 「あっ」 鋼のイバラの蔦が一本、弾け飛んだ。 ビンッ! ビンッ! ビンッ! 残りの蔦も次々と弾けた。 少女の身体を絡め取るように巻き付いた蔦は全て床に落ちてしまう。 「無礼ですよ!下がりなさい!」 ジュンコが、ナイフ片手にメグミの前に立った。 窓際にたたずむ少女。血の流れは僅かの間に収まり、傷痕さえ消えてしまう。 「止せジュンコ」 彼女の肩を掴んで、グイっと引き寄せるメグミ。 「いえ、姫様は今のうちにお逃げ下さい」 「バカ、おまえを置いて逃げられるか」 「ですが」 「いいか、ゆっくり下がるんだ」 2人は、ジリジリと後退する。 「近衛の兵達は、この一大事に何をしているのでしょうか?」 「それどころじゃないんだろ、あっちの連中も」 喧騒が遠くに聞こえる。 爆発も場所を代えて何度か続いていた。 騒ぎは、中庭だけに留まらず、王宮全体に広がっているらしい。 「それに兵士じゃ駄目だ。せめて法術師がいなくては」 というてい、剣や力技が通用する相手には見えない。 これが、もしビィならば……。 「バカなそんなはずは無い」 自分の考えを声に出して否定するメグミ。 「……」 全裸の少女は、光る黄金の瞳でメグミ達を見つめ、無言のまま訴えかける。 『さあ、私に抱かれて忌まわしい肉体からて浄化されなさい』 まるで無限に続いたかと思われる一瞬の沈黙。 メグミの視線は、見つめる金色の瞳に吸い込まれる。 いけない。 このままでは心を奪われてしまう。 でも、目を離せない。 『さあ、2つの惨めな生き物よ、その汚らわしい肉体を捨てなさい』 音ではない声が頭の中に木霊する。 どうする? どうすればいい? 『さあ』 ザクッ。 ジュンコの手を滑り落ちたナイフが床の大理石に突刺さった。 その音が黄金の瞳の呪縛を僅かに途切れさせる。 『さあ』 「うるさい!」 メグミが叫びが沈黙を破った。 彼女の掌が光る。 血が床に滴った。 刻印を自らの手に刻み、呪縛の糸を完全に断ち切った。 「消えろ!」 今度は直接、少女に向けて刻印を打つ。 少女は、無表情のまま刻印の変化する様を見つめる。 空中に現れた刻印は、蜘蛛の巣の網に変化し、少女を絡め取った。 「ジュンコ!おい、しっかりしろ!」 メグミは、いまだ自分の隣でボーっとしているメグミの肩を強く揺さぶった。 「……あっ……私いったい」 瞳に光りが戻る。 「いまのうちに逃げるぞ」 「は、はい」 ブンッ! 少女が腕を一払いするだけで、蜘蛛の網は消えてしまう。 「ちっ……やはり私だけでは駄目か!」 ダッ! 少女がメグミ達に向かって跳躍する。 身体を丸めて一回転して飛び掛かる。 「きゃっ!」 ジュンコは、顔を覆う。 「来るな!」 メグミは、反射的に次の刻印を打った。 「ウガアッッ!」 ジュンコに襲い掛ろうと身体を伸ばした少女の胸に刻印が焼き着く。 「止まれ!」 2重、3重と少女の身体に刻印が打ち込まれた。 「ガアッ!」 神代文字の魔法陣が、少女の身体に広がった。 「畜生、止まれ!」 少女は、獣のような唸り声を挙げて、天井近くまで跳ね上げられ、空中につなぎ止められた。 「凄い」 「いや、止めただけだ。刻印だけでは、どうしよーもない」 メグミ自身、自分の印した刻印が、攻撃というより単なる時間稼ぎにしかならないことを良くわかっていた。 刻印師は、法術師の造る空間上の刻印を物質に刻み、効果を恒久化させるのが役割である。 故に法術師の協力の無いメグミの刻印は、印としての魂を宿さない為、本当の効果とは程遠いものでしかなかった。 「逃げろジュンコ」 「姫様も」 「私はいい、コイツを足留めしておかないとマズイからな」 「では、私も逃げません」 「それよりもジュンコ、七神教会に連絡してくれ」 「確かに、司祭様ならなんとかしていただけるかも」 「だから早く」 「はい、でも」 「私は大丈夫だ」 メグミは、空間に縛り付けた少女を見据えながら、ベットまで後退り、傍らに置いた剣を引抜く。 ずっしりと重い剣は、頼もしくもあったが、それを使いこなす技量は無い。 こんなことになるんだったら、もっと真面目に稽古を積んでおくんだったなと思う。いまとなっては後悔先に立たずだ。 剣を構えて少女を睨みながら、扉までの距離を計った。 「早く行けジュンコ」 「ですが」 ジュンコは、メグミのことが気掛かりらしく、直に走り出せないでいる。 「勝てない勝負など挑むつもりはもうとう無い。七神教会の方が来られるまでの繋ぎをするだけだ」 「グウウッ」 少女は、空中に釣り下げられてもなお、メグミを見つめて無表情のまま唸りながら手足をバタつかせる。その声もその表情も恐怖を倍増させた。 「ジュンコ!早く!お前が残ったって殺されるだけだぞ」 刻印も法術も剣術も無いジュンコでは、足手まとい以外の何物でも無い。 「分かりました」 ジュンコは、寝室の扉に飛び付いた。 「ヴァァッ!」 その隙を突いてか突かずか、少女は、胸の刻印を弾き飛ばし、空中を蹴ってジュンコに襲いかかる。 「きゃっ!」 辛うじて横に飛んでゴロゴロ転がる。 「大丈夫か」 「はい、何とか」 椅子に身体が当たって、クマのぬいぐるみがジュンコの上に落ちた。 「ヴアアアッ!」 雄叫びのように吠えると、少女はまたジュンコを狙う。 「待て!」 メグミが太刀で切りかかる。 グシュッ! 太刀は少女の首筋にヒットし深く食い込む。 少女の首がグラっと傾き、血が吹き出し、白い床を汚す。 「やりましたね」 ジュンコは、ぬいぐるみを抱えて立ち上がった。 「早く逃げろ!」 「えっ」 少女は、片手を傷口に当てると、血の流れは止まり、傷も消える。 「化け物が」 「ヴヴッ!」 少女は、ほとんど動けないでいるジュンコに狙いをつけている。身体を揺らして、まるで攻撃のテンポを計ってるよう。 「えいっ!」 ジュンコは、ぬいぐるみを突き出す。だから、どーしたということはないが。 「くっ」 剣の柄を握り締めると、刻印を自ら刻んだ掌がズキッと痛む。 「たあっ!」 剣を突き出して、全身で少女にぶつかるメグミ。 ズニッ! 重い確かな手応え。青白い肌が目の前にあった。剣の先が、そのむき出しの乳房に埋まっている。 「ううっ」 しかし、うめいたのはメグミ。 「化け物め」 剣を突刺された少女は、赤い血を流しながら平然としている。それどころか、ズブズブと剣が彼女の中に飲み込まれていた。 「早く逃げろ!」 横目で探ったジュンコは、ぬいぐるみを抱き締めたまま気絶して倒れていた。 「コラ、寝るな」 少女の振り回す手が前髪をかすめた。剣の柄が血でぬめる。凄い力で、もう支えきれそうにない。 「メグミ殿、剣に刻印を打て!」 突然の声だったが、今度はビックリしている余裕も無く、反射的に剣に刻印を打ち込んでいた。 「フリント!我に力を!」 ドンッ! 剣を中心として、少女の胸に刻印の魔法陣が広がった。 少女の動きが止まる。 僅かに遅れて法術が乗った。 バンッ! 破裂音と血飛沫が舞い、少女の胸に大穴が開いた。 「グアアアッ!」 吐血し、血まみれになってヨロヨロと後退る。彼女の中で剣が砕けて飛び散ったのだ。 「グガアッッ!」 それでも、傷口は瞬く間に塞がってしまい、メグミを睨んだ。表情はないが、目に憎悪の炎が見える。 その目が一瞬にして視界いっぱいに広がる、また飛び掛かって来たのだ。 「あっ」 今度は剣が無い。足も動かない。 「はっ!」 黒い影が、メグミの前に現れると、少女の攻撃を両手で受け止め、気合と共に発した波動で、部屋の反対側の壁まで弾き飛ばす。 それは普通の法術とは違う、気を操る拳法のような技だ。 グシャッ! 壁に叩き付けられた少女は、頭を砕かれ、大きな赤い扇状の血の絵を残し、壊れた人形のような形で痙攣していた。 「僧正様!」 影は、黒い法衣に身を包んだ小柄な老人であった。 「ご婦人の寝室に入るのは、かれこれ50年振りですな」 ニヤリと笑う老人は、七神伽国教会の司祭である。 「僧正様、あれは」 哀れな少女を指差す。 「メグミ殿は、どう思われるかな」 謎を掛ける僧正。 「まさかとは思いますが、思い当たるものは有ります」 「ふむ、メグミ殿の思っているとーりであろう」 「では、ビィ……ですか」 「そのとおり。こいつを見るのも50年振りだが、まず間違いあるまい」 「ですが僧正様、ビィは樹海障壁に閉じ込められている筈……」 「うむ、しかし、メグミ殿の寝室を始め、王宮の至る所に現れおった。つまり……」 「では」 「そう、何者かが楽園の結界を破り、地獄の蓋を開けおったのだろう。アレが目覚めたのだ」 「では、先程の爆発が」 「だろうな」 「そんな、有り得ない。あの始祖様の刻印を破るなんて」 「方法が無いわけではなかったのだ」 「禁忌呪法ですか」 「そのとおり、寺院にまで禁忌呪法の気が流れ込みおったわ。メグミ殿も感じたのではないか」 「あの凶凶しい死のイメージが」 「確かに。我々にとっては、禁忌呪法の効果は死そのもの。慌てて駆けつけてみれば王宮は、この有り様だ」 「なんてこと、楽園……あの扉が開いて、アレが目覚めたなんて」 茫然としてしまう。 「メグミ殿、とりあえず急いで此処を離れよう。そいつがまた動き出す」 僧正は、顎でビィと呼んだ少女を示し、気を失っている侍女を担ぎ上げた。 「生きているのですか?」 「ビィを倒せるのはユニオンのハンターだけよ。拙僧には手に余る仕事だ」 2人は、メグミの寝室から廊下へと出る。そこには白い靄が立ち込めていた。そして肌寒い。 「これは」 「楽園からの冷気であろう」 「古の伝承にある『そこ、常氷の楽園』ですか」 「扉が開けば、冷気も漏れる。急ぐとしよう。陛下のことも気に掛る」 「いえ、僧正様はこのままお逃げ下さい。王宮は間もなく崩れます」 「伝承が真であるならな」 「扉の刻印を破れば、城の土台が折れるようになっています。これは間違い有りません。眠り刻印が仕掛けてありますから」 眠り刻印とは、時限法術の一種。ある設定した条件のもとに発動する。 「流石に刻印師の称号を持つだけはあるな」 僧正は、メグミの手にした刻印師のマントを見た。 ドドンッ! また、地鳴りのような爆音が響く。 叫び声と悲鳴が混じり合い王宮を揺らす。 地の底から沸き上がる唸り。 それは、恐怖を引き起こす叫び。 メグミは立ち止まった。 「僧正様、私はこれから楽園に降ります。だから、後のことはお願いします」 「しかしメグミ殿、それは危険……」 「分かっています。しかし、父はもう刻印を打てません」 メグミの父、現在の伽国王は病床の身であり、余命幾ばくも無い状態であった。 「法術師の力を借りずとも、破られた刻印なら打ち直すことが出来るかもしれません。イズマ家が王であったのは今日の為。使命は全うしなくてはなりません」 「……うむ」 顔をしかめ、苦し気にうなずく僧正。目の前の僅か14になったばかりの王女に、今は任せざるを得ないのだ。それは既に選択された運命だから。 「王都は捨てても構いません。それが古の約定。地の大陸だけはお守り下さい」 「案ずることはない。七神教会の命を受け、既にユニオンが動いている筈。微力ながら弟子どもも王都を囲んで結界を張っておる。この老いぼれの出る幕もないわ」 「どうか、ご無事で」 「メグミ殿、死ぬでないぞ」 「私は大丈夫です。この子がついててくれますから」 メグミは振り返って、パジャマの胸元から大きな宝石を引き出して見せる。その中には 妖精が身体を丸めて眠っていた。 「では」 小さく会釈をすると刻印師とイズマ家の紋章の入ったマントを羽織る。一瞬にして、パジャマから刻印師の正装と変化した。そして駆け出す。 「頼むぞ」 僧正は、メグミの後ろ姿に祈るように呟いた。それも僅かな間に城に立ち込める冷気の霧に霞んで消えるてしまう。 「おや」 後ろの暗闇に光る眼が現れる。 「もう、お目覚めか」 無慈悲な美少女。傷の跡は全くない。 「さて」 まだ気を失ったままのジュンコを抱えたまま、片手だけ構えた。僧正は、また法術師でもある。 「伽国と共に滅ぶか、それとも生き残るか、しかしこの娘ぐらいは助けてやりたいものだな」 僧正は、ジュンコを見る。 ゆっくりと近づく全裸の少女。 ゴゴゴッッ! 轟音とともに王宮が激しく揺さぶられ壁に大きな亀裂が走る。柱が折れ、天井が崩れ始めた。 そのもうもうとした土煙の中でもビィの輝く黄金の瞳だけは、くっきりと際立って見えた。 ■SCENE001 ■目次 ■TOP ■ねこどっとこむ Mambo Nekoyanagi |