SCENE010



「ト・キ・ヤ」
「んっ」
途切れ途切れに名前を呼ばれてトキヤは、白虎の影から顔を出した。
「どーしたのカレン?こんな時間に」
鼻に掛った甘い声はカレンだった。格納庫の扉を半分開けて覗き込んでいる。
「何言ってるのよ、もう朝よ、朝、空が少し白んでいるもの」
「それって未明って言うんじゃ」
「男の子は細かいことを気にしない」
チョロっと格納庫に入ると、後ろ手に扉を閉める。
「ミナミは居ないんだね」
「ミナミが何か?」
「いや、だってミナミとカレンって何時も一緒にいるから」
「ミナミだったら、一服盛った……じゃなくて、疲れてるのかな、さっき覗いたら、グッスリだったよ」
「ふーん」
「そんなことより、トキヤこそ、まだ寝ないの?あまり無理すると、白虎よりパイロットが先に壊れちゃうぞ」
「大丈夫だって。朝ご飯を用意したら仮眠するし。とりあえず切りのいいところまでね」
「真面目というか、整備マニアというか、オタクというか」
「放っておいてよ」
「あっ、怒ってる?」
「怒ってないよ、それよりカレン、何か用なの?」
「冷たい言い方するのね、用がなきゃここに来ちゃいけないの?」
壁に[の]の字を書いてスネる。
「いや、そんなことないけど」
慌てて手を横に振る。
「ホントは用があるから来たんだけどね」
スルスルとトキヤの前に来るカレン。
「なに?手伝ってくれるの」
「そーじゃなくて、もしかしたら、迷惑かもしれないけど……」
「邪魔しに来たの?」
「違ーう!」
「だって迷惑なことをやりに来たんでしょう?」
「だからそれは、言葉のアヤよ」
「アヤね」
「ホントはね、トキヤの為にホット・チョコを作って来たの」
カレンは、満面の笑みを浮かべて、湯気を立ち上らせる汚れたマグカップの載ったトレーを差し出した。
「まだ洗ってなかったカップ」
「男の子は、細かいことを気にしない。さあ、どーぞ」
「なんだか、変わった臭いがするね」
「最後に法術で美味しく仕上げたの」
「ホット・チョコって、こんなに黄色かったけ?」
「そうなんじゃない」
「ホット・チョコなんだから、チョコレート色だと思うけど」
「男の子は、細かいことを気にしない」
「細かいかな」
「色なんか飲んじゃえば関係無いわよ。そんなことより、さあ召し上がれ」
「……うん」
トキヤは、仕方なく汚れたマグカップを手に取った。

走り出して直に廊下が激しく揺れた。
『あっ』
倒れ込んだ床の石が割れ、白い冷気が吹き出す。天井が傾き、壁の石組みが砕け始めていた。
『王宮が崩れる』
楽園の扉が開かれれば、城は崩れ落ちる。それは、あやふやな伝承ではない。紛れも無い眠り刻印の力だ。城を支える土台の中心が折れて、すり鉢状の地下空間に王宮そのものを落とすようにプログラムされている。
それが、古代の法術を失った人間の手で可能なささやかな抵抗の限界。
『くっ』
手を着いた床に血染めの刻印が写る。その痛みが神経を砥ぎ澄ませた。
『道を開くんだ』
両手を組み合わせ印を造る。代々伝えられながら、今まで一度も使用されたことのない印。この時の為に造られた、楽園への道を造る眠り刻印を起こすのだ。
刻印を打つ。
『アース、我に力を!』
揺れが止まる。
術者の周囲の空間だけを切り取ってしまったかのように。
目前の壁や床が崩れ落ちる。
巨大な石が渦を巻きながら沈んで行く。
『!』
王宮の広間が現れる。
途中の構造物が落ちて、広間の空間が引き寄せられたのだ。
そこは、赤い絨毯を敷き詰めたかのように赤い。
壁もまた赤い色が飛び散っていた。
青白い全裸の美少女達がいる。
床に転がっているねじけた物体に群がって食っていた。
その一人がこちらに視線を向ける。
その他の者達もそれに習う。
光る目、口から滴る鮮血。
ねじけた物体は、人。
もう誰なのかわからないぐらい壊されていた。
恐怖は感じなかった。
心の中の何かが砕けたような気がした。
掌を広間へと向ける。
法術は使えないが、現在動いている法術に対する刻印は打てる。
『エアリアル』
広間が石の渦に巻き込まれ、ゆっくりと分解して行く。
ビィは逃げようともせずに、その流れに消えた。
大広間が完全に崩れた後に空間は現れた。
瓦礫の中に出来たトンネル。
地底の楽園に続く階段。
『行くぞ』
自分に呟く。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まっていた。

ドン!ドン!ドン!
扉を激しく叩く音がして、メグミは目を覚ました。
「夢か」
身体が微かに震えていた。
「おい、モナモナちょっと来てくれ!」
男の声が聞こえる。トキヤとは違うから、きっとヨシアという人なのだろうと思う。
「ううっ、何よ、こんなに朝早くう」
目をゴシゴシ擦りながらモナモナは羽根を広げた。
「大変なんだ、早くしてくれ!」
「わかったわよ」
モナモナがヨロヨロとドアノブに飛ぶ。メグミは慌ててパジャマの乱れを整えた。
「何なのいったい?」
「実は……」
鍵は下ろされて無かったけど、一緒にいるメグミに遠慮してヨシアから扉を開けたりはしなかった。ミナミやカレンに徹底的に教育されたので、その辺りのマナーは一応、人並みといえる。
「トキヤが石になった」
「石?」
まだ、半分ネボケているモナモナは、不思議そうに首を傾げる。
「随分と固いものになったわね」
それから、ブワーっと欠伸をした。

ヨシアがモナモナとメグミを連れ戻ると、白虎の格納庫はカレンとミナミが大騒ぎしていた。
「あーん、ごめんなさいトキヤ!」
「ちょっと、あんた!泣いてばかりいないで早く元に戻しなさいよ!」
「でも、どーしてこーなったのか分かんない、ホット・チョコを飲んで貰っただけなんだから」
「カレン、あんたホントにホット・チョコだけを飲ませたの?」
「そーよ」
「なにか変なモノを混ぜたんじゃない?」
「そんなことしないわよ」
「ホントかなあ」
「なによ!その疑いの眼差しは!」
「だって、これで何度目?トキヤに変なものを飲ませたの。この前は、彼を3日も眠らせたわよね」
「あれは、レシピのちょっとした読み間違いで……」
「もしかして、トキヤが自分のモノにならないから、いっそこの手で……とか考えたんじゃない?」
「ひどーい!変な言いがかり付けないで!あたし、そんなミナミみたいな危ない性格じゃないもん!」
「あたしの何処が危ないって言うのよ!」
「狂暴なところよ」
「変態毒盛り女に言われたくないわね」
「……誰が変態だって」
「あんたのことよ。バーカバーカ、カレンのバカ」
「ミナミみたいな単細胞生物に『バカ』呼ばわりされるとは思わなかったわ」
「単細胞生物……」
「あら、難し過ぎてわからなかった?」
「わかるわよ、ペチャぱい女」
「タレちちよりはマシだわ」
「……タレちちだと……陰険女」
「狂暴タレチチ!」
「おや、カレンさん、人と話す時には前を向きなさいよ」
「なによ、ちゃんと向いてるわよ」
「あっ、これは失敬、どっちが前だかわからなかったわ」
「……フフっ、ちょうどいい機会だわ、ミナミのこと教育してあげるわ。ペン毛が生えるぐらいには進化するかもね」
「確かにカレンとは白黒ハッキリさせなくちゃならないようね。勿論、あたしはケガレなき白で、あんたは腹の中と同じ真っ黒だってわかり切っているけど」
既に2人の間に横たわる石になった可哀想なトキヤのことなど眼中に無い。
「コラコラ2人とも何をやってるのよ!」
空中で仁王立ちになったモナモナが、今まさに掴み合おうとする2人を見据えた。
「モナモナは黙っててよ」
「そうよ、これはあたしとカレンの問題なんだから」
「あんたらの問題より、トキヤの問題が先でしょう?」
「そーは言ってもモナモナ」
「まず、この女を片付けてから」
「それは、こっちの台詞だわ」
「何だと」
「何よ」
「いい加減にしなさーい!」
モナモナが叫ぶと、ミナミとカレンの動きがピタッと止まった。そして、空中へフワリと少しだけ浮き上がった。
「やだ」
「止めて」
「だーめ、少し反省しなさい」
「あっ」
「わっ」
「きゃっあああっ!」
「やーんっ、あっはっはっはっ!」
「ひー止めて許して、あっはっはっひー」
「もうしないから、あっきゃっ!」
「そこは止めてえっっ!」
2人は空中で身体をよじってジタバタ。
「クスグリ地獄をゆっくり堪能してね」
「ひー」
「やー」
モナモナの秘術クスグリ地獄は、脱力するまで見えない力でくすぐられまくりという恐ろしくも間抜けな感じのする術である。
「さて、ウルサイ奴等が片付いたところで、どーしたものか」
モナモナは、石になったトキヤの頭に降り立った。
「どうなんだ、モナモナ」
ヨシアが屈み込む。
「本当に石なんだ」
メグミは、恐る恐るトキヤの頬に手をやった。少し暖かいけど、やはり手触りは固い石そのもの。
「まるで彫刻か何かだな」
床にうつぶせになって眠っているポーズというのも妙な感じだが。
「綺麗な感じはするな」
「そりゃ、あたしの弟子兼パートナーにしてやってるんだから、そこいらの美形とは、一線を画すわよ」
「ビンゴに見せたら、いい値段を付けるだろうな」
「ヨシアあんた何か変なこと考えてない?」
「そーいうモナモナ様こそ、妖精が悪い。型を取って複製しよーとかお考えなのでは」
「そりゃ、ボロ儲けよね」
「では、早速、石膏の用意を」
「コラ、冗談を実行するんじゃないの。このままそー長いこと放置しておけないのよ」
「石になってりゃ関係無さそうだけどな」
「魂に良く無いの。石になるってのは、肉体が死んでることと同じなのよ。下手をすると魂が精霊化しちゃうわ」
「じゃあ、勿体ぶらないで早く元に戻してやれよ」
「うーん……そーね、メグミ」
暫く考え込んでからメグミを見上げるモナモナ。
「はい?」
「トキヤにキスしてみて」
「えっっっっっ!わたしがトキヤにキス!」
すっとんきょうな声を挙げるメグミ。
「だって、ヨシアじゃトキヤが気の毒過ぎるし、ミナミとカレンじゃ順番を巡って血を見るに決まってるし、あたしはサイズ的に石の唇は凶器だもの」
「でも、キスなんかで、トキヤが元に戻るのか?」
赤い顔でモナモナを見る。
「古代の記録によればね」
「……仕方が無いな」
決心したメグミは、倒れているトキヤに覆い被さるよーにして唇を近づけたが、覗き込んでいる周囲の視線に気が付いた。
「みんな、そんなに見るなよ!」
「あっ、こりゃすまん」
「ちょっと気になったものだから」
ヨシアとその頭に乗ったモナモナは、後ろを向いた。
「だっ……ひー!」
「やめっ……きゃっはっはっ!」
最後の力を振り絞ってトキヤとメグミのキスに抗議しよーとしたミナミとカレンは、力んだところを思い切りクスグられ、完全にぐったりして空中を漂う。
「じゃあ」
改めて、目を閉じたメグミは、トキヤの石の唇に自分の唇をそっと合わせた。
「……」
息を飲んで、チラチラと様子を伺うヨシアとモナモナに、ぐったりしてもなお涙目で抗議の意思を現すミナミとカレン。1分、2分と時間は経過する。
「あの、まだなのか?」
5分ほど経過してメグミが赤くなった顔を上げた。トキヤに表面的な変化は無い。
「うーむ、やっぱり眠っているのが、お姫様じゃないと効果が無いのかな」
モナモナが首をひねる。
「おい」
ヨシアがモナモナを摘まむ。
「なによ」
「それが古代の記録か?」
「そーよ」
「それって、お伽話じゃないのか?」
「そーとも言うわね」
「お伽話……」
その場にペタリと座り込むメグミ。顔はまだ赤いまま。
「モナモナお前まさか、トキヤを元に戻す方法、知らないんじゃないだろうな?」
「失礼ね。幾つも知ってるわよ。ただ、どれが正解かわからないだけ」
「それじゃ、知らないのと変わらんぞ」
「でもね、ホット・チョコで石になったなんて事例は無いから困るのよ」
「それで、楽な方法から試したって訳か」
「そーとも言うわね」
他の言い方があるのかどーかは不明。
「じゃあ、わたしがやってみる」
メグミが手を挙げた。
「刻印を使うの?」
「それしか出来ないけどね。モナモナ、復元の法術を掛けくれないか。わたしが刻印を打つから」
「なるほど、いいアイデアね」
刻印師の造る物質刻印は、法術の継続化とアクセラレーションの効果があるが、さらにきめ細かな設定を可能とする。この場合、トキヤが毒(カレンのホット・チョコ)を飲み込む直前の状態に戻す。
「では善は急げと、準備いい?」
モナモナはヨシアから離陸するとメグミの頭に飛び乗った。
「いいぞ」
メグミは、片膝を着いてトキヤの背中に手をかざす。流石に身に付けているオーバーオールや靴までは石化していない。
「始めるわよ」
「どうぞ」
メグミは、目を閉じ指を動かす。印は連続して制御のプログラムを造る。指の動きが止まると掌に光が集まった。
モナモナは、無言のまま光羽根を広げる。開くと同時に光が増す。それは、瞬く間に格納庫じゅうにあふれた。
ミナミとカレンは脱力したまま、まぶしげに2人の術者の様子を見守る。
ヨシアは、腕組みして興味なさげに向こうの方を向く。
光羽根の光が収束して弾け、空間に光の粒子が散らばる。それは、渦を巻きながら集まって小さな刻印に変化した。
出来たばかりの刻印は、ゆっくり降りてメグミの掌へと吸い寄せられる。
接触し、掌を通り抜けた。刻印は一瞬の閃光となり、メグミの手が反動で僅かに跳ねる。
閃光の後にヨシアが目を擦って、メグミを見ると、既に刻印は消え去っていた。
「成功したのか?」
その問いかけにメグミは、無言のまま掌をずらした。
「バカね、ヨシアじゃないんだから成功するに決まってるでしょう」
モナモナが説明を加えた。
「俺のことは余計だ」
メグミの掌の置かれていたトキヤの肩口に、まだ僅かに虹色の光を残す刻印がしっかりと刻まれていた。
「メグミ、もう一度キスしてみて」
モナモナは、まだメグミの頭に乗ったまま。
「えっ、もう一度?」
「そう、きっかけがポイントなのよ」
「きっかけがポイント?」
「そーなの、早く早く」
床にペタンと座り込んで、目をパチクリさせているメグミを急かす。
「ポイントねえ、わかったやってみる」
半信半疑ながら覚悟を決めたメグミは、またトキヤに覆い被さった。
「……」
今度はミナミとカレンは脱力したまま。でもやっぱり、涙をダラダラ流している。
唇と唇が触れる。
さっきの固い感触とは違った柔らかくて暖かくて湿った感じに思わず目を開けるメグミ。
「んっ」
海の族の藍色の瞳が目の前にあった。
「きゃっ!」
メグミは、悲鳴を挙げて後ろに飛びのいて尻餅を着いた。
「あれ……」
トキヤは、周囲をキョロキョロと見回しながら身体を起こした。
「どうしたのみんな?」
全員の注目を浴びていることに気が付いても、トキヤはキョトンとしている。
「あんたは、カレンに毒を飲まされて石になってたのよ」
「えっ、ボクが石になってたって。そー言えばホット・チョコがどーとか」
頭の上に降り立ったモナモナに上目使いになるトキヤ。とーてい視界には入らないけど。
「毒じゃないもん。普通のホット・チョコだもん」
カレンは、空中でダラリとしたまま抗議。
「毒の入った普通のホット・チョコなら、文句無いでしょう?」
「いや、ホット・チョコですら無かったよーに記憶しているけど」
「ホット・チョコだもん!きゃっはっはっはっ!もーだめっっ!」
抗議に力が入ったカレンは、クスグられまくりで、もうピクリともしなくなった。
「……」
ミナミは、ボーっとした目で、無表情のままその様子を見ていたが、そのままトキヤの方に視線を戻した。
「どーしたの、この2人」
トキヤが、ミナミとカレンを指差した。
「騒いでたから、ちょっとね」
「もう、下ろしてあげたら。何をしたか知らないけど可哀想だよ」
「まあトキヤが言うならいいでしょう。このままだと精神が崩壊しちゃうもんね」
グッタリしたまま下りてくる2人の身体をトキヤが受け止めた。
ミナミとカレンには、もー自分で立つ気力も残ってない。
「トキヤ、身体、何ともないの?」
「うん、平気。メグミとモナモナのおかげだね」
「俺が呼んで来たんだぞ」
「ヨシアもありがと」
「恩にきろよ」
「朝食に期待してるぞ」
「いや、わたしは、たいしたことはしてない」
メグミは赤い顔のまま、その場所に座り込んでいる。
「じゃあ、2人を置いて来るから」
ミナミとカレンよりも背の低いトキヤは、両側に抱えた2人を引きずるようにして格納庫を出て行く。
「石になってた割に元気な奴だな」
「石になる直前に時間を戻したからね。だから、石にならなかったと同じなの」
「ふむ、なるほどな」
「ホントにわかってるのヨシア?」
「いや」
「だから……」
モナモナは、同じ説明を数回繰り返し、ヨシアは、同じ数だけ首をひねった。メグミは床に座ったまま、ボーっとしていた。




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Mambo Nekoyanagi