『学級裁判』


作 猫柳まんぼ




5時間目の休み時間が終わる前から、教室は重苦しい空気に包まれていた。黒板の脇に貼られた時間割には、水曜日の6時間目はLHR(ロングホームルーム)と書かれている。これから始まる今日のそれは、いままでとはまったく違う特別な意味を持つ時間になるだろう。

チャイムが鳴る。

全員が席に着いていた。いまはもういない彼女を除いて。僕も席に着き窓の外を眺める。ここだけが静かだった。
「これからLHRを始めます」
教壇に立った委員長が緊張した声で宣言した。その隣の副委員長は、いまにも貧血を起こしそうなほど青い顔をしている。僕も背中が熱くなるのを感じた。
「先生、まずはどうぞ」
担任が、小さくうなずくと下がった委員長に代わって教壇に立つ。両手でグイと教卓の両端を掴んでいつもの前屈みの姿勢になる。薄汚れた白衣と脂っぽい肌、それにこの1週間の疲労が重なって、先週とは別人のように老け込んで見えた。
「きみたちが、吾妻の死に責任を感じるのはわかる。私もそれを感じている一人だ。だから、いたずらに誰かをスケープゴートに仕立て上げるような真似だけはしないでくれ。彼女が自殺したのは事実であり、我々はその現実を等しく受け止める必要がある。負い目を感じなくてはならないのは全員であることを自覚して欲しい。きみたちがこの時間を有意義に使ってくれることを望む。私からは以上だ」
担任は、短いスピーチを終えると教壇から降りパイプ椅子に掛ける。
「では、先生からの差し入れを分けます。列の前の人は取りに来て下さい」
副委員長が、清涼飲料水の缶が詰まったダンボール箱を指差した。わらわらと人が集まって大手洋酒メーカーの名前の入った箱は直ぐに空になる。
「熱くなり過ぎないように、まずは冷却水を補給してくれ」
担任のつまらないジョークには誰も笑わなかったけれど、プルトップを開ける音が教室のアチコチから聞こえた。僕も一口飲む。生ぬるい。
「先生もどうぞ」
委員長が缶を差し出す。
「ああ、済まない。俺も喉がカラカラだったんだ」
直ぐに缶を開けて口を付けた。
それを確認するように眺めてから、委員長は教壇へと戻った。
「では、始めます」
教室の全員の目が彼に集中する。誰もが黙っていた。いつものように軽口を叩く奴もいない。遠くのクラスの笑い声が海鳴りのように聞こえた。
「我々は、先週クラスメートを一人失ってしまった」
小さな嗚咽が静寂に混じる。
「吾妻美希が何故、自殺したのか?今日の議題はこれだ」

カラン!

缶が床に転がり落ちた。僕はビクっとして音の方に目をやる。傍から見れば臆病なネズミのように見えたことだろう。
そこには担任がパイプ椅子にもたれてグッタリしている。目は薄く閉じ、意識を失うように眠りに落ちたことがわかる。副委員長は何事も無かったかのように缶を拾いダンボール箱に投げ入れた。
「先週、吾妻美希が自ら命を絶って1週間が経ったが、遺書はいまだ発見されず、動機がわからないまま今日に至っている」
委員長は、担任には注意を向けず話を続けた。
そう、美希は、いま花の飾られた机の上で微笑む小さなフォトスタンドの中だけの住人になってしまった。
「彼女は、何故自殺しなくてはならなかったのか? 何故、僕たちはそれを止めることが出来なかったのか」
委員長の声は大きくは無かったが、クラスの全員にしっかりと聞こえた。
「どうなの、佐々木くん?」
副委員長が、壇上から僕に声を掛けた。
僕にクラスの視線が集まる。
「僕にもわからない……」
顔を上げて応えるが、副委員長を見ているわけでは無い。
「佐々木くん、美希と付き合ってたんでしょう」
副委員長が、キツい口調で詰問する。
「付き合っていた……けれど僕には美希が何故、自殺したの分からなかった」
「本当に?」
「判断は、副委員長に任せるよ」
「そういう投げやりな言い方、好きじゃない」
「僕は、元々こんな言い方しかしないよ」
お互いの語気が強まる。
「まあまあ、いきなりそう熱くなるな、ここで他の先生に来られたら、せっかくこの場を作った苦労が水の泡になる」
委員長が僕たちの間に割って入る。
「わかってるわ」
「……済まない」
張り詰めたものが少しだけ緩む。しかし、リラックスとは程遠い状態だ。
「佐々木、おまえが僕たちの中でいちばん吾妻に近い存在だったということは認めるよな」
「ああ、たぶん」
委員長と僕の間で会話が再開される。副委員長は、何か言いたいことを我慢しているかのように口を真一文字にして閉じた。
「二人は、いつから付き合っていたんだ」
「今年、同じクラスになってからだよ」
「すると半年ちょっと言ったところか」
「ああ、そうなるか」
「それ以前は?」
「ほとんど知らないって言っていいと思う」

廊下ですれ違ったりして、顔は知っていた。かわいい子だなというのが第一印象で、美希は僕が好きになる雰囲気を持っていた。だから同じクラスになって席が近くなった時に迷わず声を掛けた。
「よろしく、僕は佐々木」
「私は、吾妻美希、あなたのこと知ってるよ」
美希は、僕のことを知っていた。
「佐々木くんて割と目立ってるんだよ」
「そうかな、そんなこと言われたこと無いけど……もしかして悪い意味」
「まさか、そんなわけ無いでしょう、佐々木くん」
美希は、そう言ってウインクした。

「そうか、それ以前の彼女を知っているのは何人いる」
委員長の声が僕を現実に引き戻す。
彼はもう僕以外のクラスメートを見渡していた。
「それって、同じクラスだったとか?」
教壇の前の席の鹿島笙子が質問する。眼鏡を掛けて三つ編みのお下げ髪なので中学生にしか見えない。私服なら子供料金に挑戦出来そうだ。
「そういうこと」
「だったら、あたしもYesになる。去年一緒だったから」
続いて、パラパラと手が挙がる。
「ざっと数えて、クラスの三分の一ってところね」
副委員長も小さく手を挙げている。
「僕も吾妻のことは知っている。中学が同じだったからね」
委員長も彼女に倣って手を挙げた。
「それで、これがどうしたの?」
副委員長は、疲れた笑みを浮かべた。
「自殺の原因は、彼女の過去から先週に至る何処かで発生したんだ。それを突きとめる手掛かりになるかと思ってね」
「そんな昔には無かったと思うけどな」
笙子は、子供っぽい顔に思案の表情を加味する。
「あたしも、そんなことこれっぽっちも感じたこと無いよ。美希は明るくていい子だったから……」
「つまり自殺の原因はわからないと」
「ええ、あたしは……。知世、あなたはどう?」
「あたし……」
LHRが始まってからずっと、ハンカチで口元を押さえていた北沢知世が真っ赤になった目を副委員長に向けた。
「美希は、自殺するしか無かったんだと思う……」
「どうしてそう思うの?」
「だって、そうじゃなかったら美希はあんなことしなかったよ……」
知世は、机に顔を埋めてまた泣き出してしまう。その小さな嗚咽は、否応無くまたクラスの空気を緊張させる。
「佐々木くん、あなた本当に何もわからないの?」
立ち上がってそう言ったのは、山崎多恵だった。女子バスケ部のキャプテンだけあって背が高くすらりとしたプロポーションをしている。知世と多恵がクラスの中の女子ではいちばん美希と仲が良かった。
「先週の火曜日、あの子、泣きながら電話で『佐々木くんとさよならしたの』って言ってたんだから」
その発言にクラス全体がどよめいた。
驚かないのは、僕ぐらいかも知れない。
「そう、僕は美希にフラレた」
自嘲的な笑みを浮かべて僕はうなずいた。

「ごめんなさい……」
美希は、結局それしか言わなかった。
翌日、彼女は死んでしまった。
後悔は、数え切れないほどした。この先もきっと数え切れないほどするのだろう。

「佐々木、どうして黙っていた」
委員長がそれまでと違った低い声を出した。
「言う必要が無かったからだ」
僕は、委員長に目を合わせなかった。
「何故、そう思う?」
「簡単さ、フラレたのが僕だからだよ。その逆ならまだしも……」
「何故、吾妻は佐々木と分かれたんだ」
「僕が知りたいよ。結局、彼女は僕に何も教えてくれなかった」
クラスメートは息を潜める。
「美希は、佐々木くんのこと好きだったよ、きっと最後まで」
知世は、泣き濡れた瞳で僕を見詰める。
「僕は、いまでも好きだよ」
美希の机を見る。今朝、置かれたばかりの白い百合の花が胸に深く突き刺さるほど綺麗だった。
小さな嗚咽の声が伝染したかのように広がる。
「美希がどうして、佐々木くんと別れたのか……当人が分からないんじゃ誰にも分からないか……」
独り言なのだろうが、副委員長の声は凛として通る。
重苦しい沈黙が流れる。誰かが応えてくれるのを待つように。
「あの……」
葉月千早がおずおずと手を挙げた。
「何か知ってるの千早……」
「うん、こんなこと言っちゃっていいのか迷ったんだけど」
その視線は落ち着かない。
「構わないわ、今日ここで話したことは誰も漏らさないことになってるから。そうでしょう、みんな」
全員が無言のままうなずく。
「……そうだよね」
「話して、千早」
「うん、先週の月曜日の放課後、あたし部活で遅くなったんだ……」

彼女の話を要約すると、次のようになる。
所属しているブラスバンド部の練習が長引いて、千早が音楽室を出たのは外が薄暗くなってからだった。教室に寄ってから階段を降りたところ途中の踊り場に見知った人影を見つけた。それが美希だった。背中を向けていたが直ぐにわかる。
「美希、どうしたの、こんなところで」
美希は泣いているみたいだった。
「千早……ごめん何でも無いの」
涙を拭いながら美希はそう言った。
僕の胸はキリキリと痛む。何をしていたんだ僕は……。
「でも、泣いてるじゃない、何かあったの」
「ううん、たいしたことじゃないの」
その時、美希のワイシャツのボタンが不自然に取れてるのに気が付いた、それに唇の端が切れている。彼女が誰かに何かされたのは間違い無かった。
「美希、あなた……」
「お願い、千早、このことは誰にも言わないで……」
「でも……」
「お願いよ、私の問題は私が何とかするから」
美希がそう強く言ったので、千早は黙るしか無かった。

「あたし、あまり詮索するのはかわいそうだと思って……少し励ましただけで帰っちゃったんだけど……無理にでも話を聞き出していたら、こんなことには……」
千早は顔を覆って泣き出してしまう。
鼓動と息が速くなる……。叫び出したい衝動に駆られるが、何とか押さえる。
「千早だけの所為じゃないわ、あたしなんか美希の変化にすら気が付かなかったんだから」
副委員長の声が震える。
「美希を追い詰めたのは、僕だったのかも知れない……」
また全員の視線が僕に集まる。
「僕がいたから、美希は死を選んだのだと思う」
美希は、そういうところがあった。

「私、他の人とは絶対にこんなことはしないと思う」
初めて美希を抱いた時、彼女はこう言った。
「汚れたら私はきっと生きてはいられないもの」
そして、その通りになった。

「佐々木くんの所為じゃないよ、悪いのは美希に酷いことをした奴だ」
多恵がそう言ってくれた。
「少なくとも、そいつに懺悔させる必要は有るな」
「だからこそ、今日のこの時間を設けたんでしょう」
副委員長が無理に笑みを浮かべる。
「そうだね」
僕も笑みを返した。
「続けよう」
話を聞いていた委員長が、改めて進行する。
「いままでの話から、吾妻に大きな変化が認められたのは、先週の月曜からということになるかな、他に何か心当たりのある人はいないのか」
「いま思うと、先々週の中ぐらいから、元気が無かったような気がする」
そう言ったのは、花の飾られている席の後ろにいる土橋浩子だった。それに追随して2、3人の女子がうなずく。逆に男子のほとんどは、美希の変化には気付かなかった。僕も同じくくりだ。
「そう言えば、先週の日曜日、吾妻が学校に来ているのを見たな」
野球部の矢口治が手を挙げた。
「何時ごろ?」
「午前10時ぐらいだったかな。少なくとも午前中なのは間違い無いよ」
「部活かしら」
副委員長が腕を組んで小首を傾げる。
「いや、吾妻は僕と同じ美術部だから、日曜日の活動は無かったよ」
委員長が副委員長の疑問に答えた。
「どうして、美希は日曜日に学校に来たのかしら、誰かわかる人いる?」
クラスの全員に問い掛ける。
「用事が有るとは言ってた、どんな用事なのかは教えてくれなかったけど」
僕が答えた。先週の日曜日、美希は僕の誘いを断って学校に行った。
「矢口くんの他に学校に来ていた人はいない」
その質問に数人が手を挙げた。全員が体育会系の運動部に所属している。
「この中で、美希を見た人はいる?」
手を挙げた全員が、首を横に振った。ただ一人、サッカー部の飯岡直行が一言付け加えた。
「吾妻さんかどうか分からないけど、教室に誰かいたみたいだった。そこの窓が開いてカーテンが動いているのが見えたから」
「それって、間違い無くここだった?」
「6組は校舎の3階のいちばん端だろう、俺がいくらおっちょこちょいでも間違い様が無いよ」
「そうだな、せめて中に何人いたかぐらいわかれば、もっと良かったんだけどな」
委員長が、担任のように教卓の端を掴む。
「無理言うなよ、下からじゃほとんど見えないんだから」
「それもそうか、日曜日、教室に来た人はいないか?」
今度の委員長の問いには誰も手を挙げなかった。
「すると日曜日、教室に来て窓を開けたのは、美希である可能性が高いということになるわね」
「たぶんね」
クラスの全員も同じ結論に達したらしく、誰も異論を唱える者は無かった。
「日曜日の教室で、美希に何かが……それが自殺の直接の原因になった」
副委員長は言葉にはしなかったが、美希はここで凌辱されたのだろう。僕は何も出来なかった……。
「それで、間違い無さそうだ」
委員長がうなずく。
「土曜日の夜、あたし美希と電話で話したよ」
多恵が手を挙げた。
「何か次の日のことを言ってた?」
「……『日曜日は用事が有るから会えない』とは言ってた、佐々木くんの話と同じだけど……ただ」
「ただ、なに?」
「はっきりと話を付けるって……」
「どういう意味、それ」
「それって、でも一月も前の話だろう」
僕が多恵と副委員長の会話に割って入った。
「おい、ちょっと待てよ」
続いて野球部の矢口が声を挙げた。さっきとは違って動揺しているように見える。
「どうした矢口、何か有るのか?」
委員長は、事情を知りながら涼しい顔をする。
「確かに夏休みが開けて直ぐ、俺は吾妻に交際を申し込んだ。でも、結局はフラれたし……」
「僕もそのことは噂に聞いたよ。吾妻を相当困らせたという話だったが」
委員長は、矢口治の目をじつと見詰めた。
「……いまになってみるとそうだったかも知れない」
矢口は、きまり悪そうにうなだれる。
「日曜日、吾妻を見たのは矢口だけだったな」
「何がいいたんだ、委員長」
「本当に見ただけなのか?」
「そんなの当たり前だろう、何だったら野球部の奴らに聞いて貰ってもいいぜ」
「声が高いわ、矢口くん」
副委員長が冷たい声でたしなめた。
「ああ、悪い……でもあの時のことはもうケリが付いたんだ」
「一月前に話は着いてる」
弁護する分けじゃないが、事実は事実だ。
「僕と美希と矢口の3人でちゃんと話したし、勿論、矢口は美希に触れるような真似はしなかった。その後も約束を守っていたと信じている」
「しかし、それは佐々木の心の中だけの話なんだろう」
「まあね」
「僕も矢口を疑いたくは無いんだが……」
委員長は、ポケットから折り畳んだ便箋を取り出す。
「これは、美術部のロッカーにあった吾妻のスケッチブックに挟んであったものだ。遺品をご家族に渡すために整理している時に見つけた」
「見せて」
副委員長が便箋を開く。
「ちゃんと話がしたい、日曜日、教室で待つ。矢口」
短い文章を読み上げる。
「待ってくれ、そんな違う……」
「それにしては、おまえの下手な字にそっくりだぞ」
「前にそんな手紙を書いた気がする……けど、先週の日曜日に呼び出したりはしていない」
「手紙は、いちばん新しい絵の場所に挟まれていた。それは先々週に描いてものだ」
「……でも、違うんだ、信じてくれ」
必死な形相で訴える。
「だが……」
何度目かの重苦しい沈黙が教室を包む。
「信じるわよ」
沈黙を破ったのは、副委員長だった。
「確かに矢口くんは美希を見たけど、会いはしなかった」
続いて多恵が言った。
「どうして、そんなことがわかるんだ」
委員長が疑問を呈した。
「だって、あたしずっと体育館から見てたもの、そして誰が美希に続いて校舎に入ったかを見ていた」
多恵は立ち上がった。
「でもキミはさっき……」
委員長は、絶句する。
「僕も美希が誰と会うかは聞いていた」
僕も席を立った。
「美希は日曜日何があったかあたしに教えてくれた」
副委員長は委員長を見据える。
「僕たちは美希を救えなかった」
「あたしたちは美希を見殺しにしてしまった」
「そう、だからあたしたちはあなたと共犯になるわ、委員長」
僕たち3人が、委員長を囲む。
「あの日、美希を教室に呼び出したのはキミだ、委員長」
「あなたが、美希を乱暴した」
「そして、その関係をネタに美希をもてあそんだ」
「僕は……」
委員長は黒板を背に首を横に振る。
「正直に罪を認めれば僕たちはキミを赦すつもりだった」
「でも、あなたは罪を告白しようとはしなかった」
「あまつさえ、見苦しく他人に罪をなすり付けた」
「だから僕たちは、委員長と美希を見殺しにしてしまった自分たちを断罪しなくてはならなくなった」
クラスメートたちも席を立ち前へと進む。
「待ってくれ、隠すつもりは無かったんだ……それにあれは、僕だって吾妻があんなことで自殺するなん……」
「クラス全員が等しく罪を受けるの」
「そう、全員が罪人」
「赦して……」
委員長の身体から急速に力が抜けて行く。
「……薬……僕にまで」
「さよなら、委員長」
僕は、ナイフを抜く。
チャイムが小さな悲鳴を消し去った。



<了1999/02/28>





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