『もなむし』


作 猫柳まんぼ



10月の下旬になって、千歳の友人に電話を掛けて確かめると彼は間も無くだと教えてくれた。
「父さんもそう言ってるからね、たぶん時期的には悪くないと思うよ」
僕は、礼を言って電話を切り翌日のチケットを取る為、航空会社のカウンターへと掛け直した。

「寒いね、パパ」
雪子は、千歳に降り立つと開口一番にそう言った。
「だから、これを持って来たんだよ」
手荷物に入れていた雪子の小さな白いコートを出して着せる。小学校一年生のレディはボタンまで僕に留めさせる。
「雪子、雪、見れるかな」
大きな硝子に両手を着いて駐機している飛行機の向こう側の空を見る。
僕たちの住む土地は滅多に雪が降らない。
だから、雪子はまだ雪を見たことが無い。
「運が良ければね」
頭を撫でてやると子猫のように目を閉じる。
そこには由紀の面影があった。

由紀と初めて会ったのは大学の演習室だった。同じ学部、同じ学科、同じ学年でありながら同じゼミを選んだその日になって初めて顔を合わせたのだから、いまにして思えばいかに僕が不真面目な学生かがわかる。
「あたしは、千歳だよ」
「じゃあ、地元?」
「ううん、違うよ、叔父さんが自衛隊にいるから官舎に下宿させて貰ってるの」
その日、僕たちは並んで駅まで帰った。近くにアパートを借りていたから駅は関係の無かったが、たまたま(?)その先のヨーカドーに用事が出来た。
「あたし、こっちに来て初めて雪に触ったの、もう感激だったな」
歩道橋の上で、遠くに見える白くなった山を指差す。
「僕もそれに近いな、田舎は雪の滅多に降らないところだから、少しだけ積もった雪でドロドロの雪だるまを作ったりしたな」
「その感じ、すごくわかるな、あたしには積もった雪って凄く不思議な風景なんだ、ほんと別世界って感じで」
「こっちの人はわかって貰えないけど」
「そう、地元の友達は『そのうちうんざりするよ』とか言ってね」
「別にうんざりはしなかったなあ」
「でしょう、ああこういう感覚がわかってくれる人がいるのって嬉しい」
由紀の笑みに僕は、親しくなれそうな予感をした。

千歳の友人は、空港のラウンジで待っていてくれた。
「こんにちは」
彼が東京に来た時に雪子も何度か会った事があるので、ペコリとお辞儀をした。
「いらっしゃい」
彼も大きな身体を曲げて雪子の目線で挨拶をしてくれる。
「ごめん、無理言って」
「ああ、いいよ、ちょうど空いてたところだし、雪子ちゃんにも会いたかったからね」
「えへ」
雪子は、恥ずかしそうに僕の後ろに隠れた。

僕の予感は外れなかった。由紀と僕は知り合って直ぐに友人になり、程無くして親友になった。彼女との会話は、新しい発見の連続だったし、彼女も僕の話しを熱心に聞いてくれた。
「あたしは、マイナーな作家にスポットを当ててみるつもり、教授も良く知らない作家を評価するの」
「面白いのは、大正かな」
「そう、わかってるじゃない」
「それとここにいる利点を生かさないとね」
「うん、言えてる、ここにいることを利用にしない手は無いよね」
ゼミで、コンビを組むのも自然の成り行きだった。

「本当に借りちゃっていいの」
「うん、こっちはほとんど使ってないからね」
友人は、カプチーノのキーを渡してくれた。
「最近は、もっぱらこっちなんだ」
ガレージのカプチーノの隣には、ケーターハムのスーパー7が停まっていた。
「パパ、この車、屋根が無いよ」
雪子は目を丸くして、クラシカルなアルミのオープンボディーを見る。
「雪子ちゃん、こっちの車の屋根も取れるんだよ」
友人は、いまは懐かしい軽自動車の屋根を手馴れた動作で外した。
「すごーい、ねえパパ、すごいよ」
「そうだね」
たぶん、家に戻ったらカローラの屋根を外してくれって言うのだろう。
「ちょっと寒いけど、オープンで走ると気持ちいいよ」
「オープンだって、パパ」
友人の言葉に雪子は目を輝かせて僕のスラックスを引っ張った。
「……でも、10月も下旬だけど」
「昼間ならたいしたこと無いよ」
友人はニコニコして言うけど、真冬でもオープンで走り回るこの人の意見を判断材料にするには、やや難がある。
「パパ……駄目……」
雪子はすがるような目つきで僕を見上げた。
親は子供の夢を阻む為にいるんだと、子供の頃の僕は思っていたわけだが……いまになって親の気持ちがわかると言ったところか。でも、ここで風邪を引かせるわけにはいかないからなあ。
「大丈夫だよ、これを用意しといたから」
友人は、ゴーグルの付いたピンク色の飛行帽を雪子に被せた。子供用らしく少し大きいだけで、しかもちゃんと防寒仕様になっている。
「そしてマフラーをすれば完璧」
「わあ」
ちょっと着膨れた感じだけど、雪子は飛行帽のゴーグルを降ろしてご満悦だ。
「まあ、それなら大丈夫かな」
「やったあ」
雪子は着膨れたままピョンピョンと跳ねた。

その年、僕たちがゼミで知り合う前に提出した筈の履修科目は、それまでの空白を埋めるかのように偶然の一致を繰り返した。
「入学して、直ぐじゃないというのも不思議だよね」
由紀もそう言って首をひねった。
「もしかしたら、神様の演出なのかもね」
「つまり偶然てわけ?」
「そうとも言えるかな」
それは僕たちの間で繰り返し話される話題の一つになった。

銀色のカプチーノは高速に乗って札幌方面に向かう。まずは久し振りに大学を訪ねることにした。誰か会うわけじゃない、思い出に会えればそれでいい。
「わあ」
雪子は、たまに防音フェンスの隙間から見える風景に声を挙げた。ウインドウさえ閉めておけば、オープンでもそれほど風を巻き込むことは無い。
「寒くないか」
少々大きな声で雪子に話しかける。
「ぜんぜん、寒くないよ」
雪子は、ゴーグルをしたままの顔をこちらに向ける。
「それならいいよ」
オープンでのドライブは、思ったよりも快適だった。それも日の出ているうちのことだろうけど。

出会ってから半年、並んで歩く僕たちの息は白くなっていた。
「寒くなって来たね」
「もうすぐこの辺りでも雪がふるんじゃないのかな」
雪国に来て3年目にもなると何となくわかるようになる。風が一段と冷たくなり、冬の匂いをさせていた。
「そう、これは冬の匂いだよね」
由紀は僕の意見に賛同する。
「あたしたちって本当に似てるよね」
「うん、似ている」
「でも同じじゃない」
「男と女だから」
「個性だよ、キミの個性とあたしの個性、同一にはならない」
「でも、少し溶けたようなところがあるかもね」
「それはあるかな、あたしたちは同じモノを見、同じモノについて考えたりしたわけだから」
「溝を埋めるってことかな」
「うーん、それよりは同じ部分を新しく作っているような気がする」
「共通する、個性とか」
「そう、あたしたち二人という個性を作ってるんだ」
「二人揃って初めて出来る個性か……」
「例え、欠けたとしてもその個性はデリートされないよ」
由紀は、そう言った。それは確かに正しいことだった。

高速を降りて大学へと向かう。
小さな私大だが、最近はそこそこ学生を集めているらしい。最後に来たのが雪子が生まれる前だから、もう10年近い月日が経つ。
「この建物は、変わって無いな」
僕が初めて一人暮しを始めたアパートはそのままの姿で残っていた。当時も新しくは無かったから変わらずに見えるのかも知れない。
「昔、パパはここに住んでいたんだよ」
「ふーん、雪子もいたの?」
ゴーグルを額の上にずらして煤けた白いモルタルの外壁を眺める。
「雪子の生まれる前だよ」
「じゃあ、ママはいたの」
「遊びには来てたよ」

初雪の季節には講義の後、僕の部屋に来るのが由紀の日課になっていた。だからお互いの友人からは、既に恋人同士だと思われていたらしい。でも、本当のところは手すら触れたことの無いプラトニックな関係を保っていた。
いまにして思えば、それは現実からの猶予期間だった。抱き合えば僕たちの関係はリアルなものになる。そこには別の意味での発見があるだろうし、見たくないものを見ることになる。
それでも僕たちは、次のステップへのきっかけを模索し始めていた。

「OBです」
本来は、車での入構は出来ないのだが、来客ということで特別に入れて貰った。
「前の駐車場に停めて下さい」
守衛さんに指示されて小さなカプチーノを学生の車の間に駐車する。
「パパの学校って凄く大きいんだね」
車から降りると、幾つもある校舎を見渡す。僕たちが在学していた頃より、三つも増えている。
「大学って言うぐらいだからね」
歩くには邪魔な帽子とマフラーを外してあげた。
「うん、雪子の小学校よりずっと大きいもんね」
親父のいいかげんな答えに真剣な顔でうなずいた。
それから雪子の手を引いて構内を巡る。
新しい校舎以外は、由紀と歩いた頃と何も変わってはいない。中庭のベンチに腰掛けていると今にもバインダーを抱えた由紀が現れそうだ。
「パパ、お腹空いたよ」
雪子が僕の袖を引いた。
「そうだね、何か食べようか」
僕は、雪子を連れて学内の喫茶店に入った。

「ここのサンドイッチって美味しくないよね」
由紀のここでのお気に入りは、チーズケーキセットだった。
「まあね」
そして僕のお気に入りは、その美味しくないサンドイッチだった。ベジタブルサンドというもっともらしい名前の割にマーガリンを塗った食パンの間に挟まっているのはレタスとスライスした玉葱だけだ。
「でも、野菜も食べないとね」
「偉いよ、キミ」

「何がいい」
いまだ写真の入ったメニューが存在しないので一つ一つ説明してから雪子に問い掛ける。
「雪子ね、チーズケーキセットがいい」
僕は当然、ベジタブルサンドを注文する。
雪子が欲しがったから、一つ上げる。
「美味しくないよ、パパ」
「でも、野菜を食べないとね」
「うん」
雪子は自分の貰った分は全部食べた。
「偉いよ、雪子」
「へへ」
雪子は嬉しそうに微笑んだ。

「昨日ね、モナ虫を見たの」
由紀は、チーズケーキを食べながら、唐突にそう言った。
「モナ虫?」
「ああ、それはあたしの付けた名前。本当は雪虫って言うんだよ」
「雪虫なら知ってるよ」
「見たことある」
「いや、聞いたことがあるだけ」
「見たいと思わない?」
「思う」
「じゃあ、車を出そう」
当時、僕は古いトレノを手に入れたばかりだった。スピードメーターが壊れている以外は特に問題は無かったけど、車検は通りそうに無い代物だ。

「今度は、屋根を付けて行こうね」
駐車場でカプチーノにルーフを取り付ける。日が傾きかけて、風が一段と冷たくなっていた。
「次は何処に行くの」
「いいところだよ」
今度は下の道を通って一路、千歳へと戻る。冬の匂いを久し振りに感じながら。

「そこはね、あたしの秘密の場所なんだ」
助手席の由紀の道案内で、その場所に向かう。と、言っても一度、彼女の自宅近くまで戻ってからだけど。
「この車、乗り心地が悪いね」
「バネが換えてあるから」
「どうして、そういうことをするの」
「前のオーナーが乗り心地の悪い車が好きだったんだろう」
「なるほど」
二人でドライブをするのは、その時が初めてだった。

僕は、道をちゃんと覚えていた。
雪子は疲れが出たのか、助手席でウトウトしている。
由紀の姿が蘇る。

「去年だよ、初めて見たのは」
助手席の由紀は話しを続けた。慣れない道なので、僕は主に聞き役だった。
「そこはね、ススキの海でね、誰もいないの」
「危なそうな場所だね」
僕の心配性な部分が出てしまう。
「うん、暗くなったら怖いと思うよ」
「始めは、雪かなって思ったんだけど違ってた、もっとフワフワしていたの」
「それが由紀の言うところのモナ虫なわけだ」
「うん、だってモナモナした感じだったから」
「イメージは何となく掴めるかな……」
「見ればわかるよ、その丁字路を右ね」
車は、砂利道に入った。

「ここ何処?」
車の振動で、雪子は浅いまどろみから覚めた。
「ママの秘密の場所だよ」

車の両側は本当にススキの海だった。何処までも続いている。
「あたしの言った通りでしょう」
由紀は得意そうに言う。
僕は道端の少し開けた場所に車を止めた。

たぶん同じ場所に車を止める。
「降りていいよ」
「うん」
雪子は車の外に飛び出した。
僕も続いて車を降りる。
「すごーい」
雪子は道路の真中で、どこまでも続くススキに驚きの声を挙げた。
「おいで、雪子」
小さな雪子を抱っこして、僕と由紀の目線で夕日に染まり始めたススキの海を見せる。
彼女は僕にしっかりと抱き付く。
ススキの海を風が流れた。
僕は雪子をかばってやり過ごす。
「パパ、雪だよ」
風に運ばれて来た白く小さなものがフワフワと僕たちの周りを漂っていた。

「モナ虫……」
由紀が囁いた。
彼女の手が僕の腕に絡んだ。初めて触れる由紀の身体は柔らかかった。
「本当にモナモナした感じだね」
「でしょう」

「雪じゃないよ、これは虫なんだ」
「本当に」
雪子は手を差し出して、受け止めようとするが、白いフワフワは、それを避けるようにして漂う。
「雪虫って言うんだよ、ママはモナ虫って言ってたけど」
「きっと、モナモナしてるからだね」
「そうだよ」
僕は、そっと雪子を抱き締めた。

「あたし、これまで自分のこと無感動な冷たい人間だと思ってたんだ」
由紀は、そう言った。
「そんなこと無いんじゃないかな」
「うん、キミと出会ってあたしは変わった」
「変わったのは、由紀だけじゃないと思うけど」
「そうだね、あたしたちは似てるから」
「そういうこと」
「キミはあたしを受け止めてくれる」
「受け止めるよ」
知り合って半年、僕たちは初めて口付けした。
口付けの後、由紀は僕を見詰める。
「あたしは、きっと娘を産むと思う」
「じゃあ、名前を決めておかないとね」
「実は、もう決めてあるんだ」
「そして、いつかこの風景を見せるの」
そして、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「とっても綺麗だね、パパ」
雪子は、空を見上げる。夕日を浴びた雪虫はキラキラと輝く。
「うん、ママの好きな風景だからね」
「ママの」
「そうだよ、雪子はどうかな」
「雪子も好き」
「この風景を、いつか雪子が好きになる人に見せてあげるといい」
「うん」
雪子の眼差しは、本当に由紀に似ている。
彼女の生きた証は確かに娘の中にある。
それは僕も同じだ。
二人で作った個性は確かにここにある。いや、いまは三人の……。

翌日、雪子は生まれて初めて雪を見た。



< 了 1999/02/22>





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Mambo Nekoyanagi